【INTERVIEW】「百年の予定」からみる生活の中にある風景。森本めぐみ インタビュー

森本めぐみは、絵画を主な表現手法として、自身を取り巻く事象に没入し、独特な心象風景を描き出す作家としてファンも少なくない。12月30日からTEMPORARY SPACEにて、森本めぐみ展「百年の予定」が始まる中、注目されている森本めぐみにインタビューを行った。

– 今回の展示についてお話しください

百年先の2117年をイメージした絵と、出産する直前から入院中につけていたスケッチなどを展示する予定です。今年の夏に第一子が生まれて、突然手触りのある未来のイメージが広がった気がしました。未来といっても、例えば、 1万年後に人間がどうなっているかっていう、スケールのでかい切り口ではなく(それはそれでおもしろいけれど)、自分は死んでるだろうけど、ちょっとリアリティーのある未来として百年を設定しました。

– 未来を設定した理由としては、お子さんが生まれたのがきっかけなんですね

一番大きな理由としてはそうですね。潜在的には、人間の寿命が今後数十年で1000歳ほどまで伸びるんじゃないか、なんていう予想や、墓地不足にどう対応すべきか、という、近未来の死や葬送にはずっと興味関心はありましたが、子どもが生まれたことで、もう少し、リアリティーというか、手触りが生まれたような気がしています。

– これまでの作品展や制作とは違う印象を感じるんですが「手触り」という部分について深掘りさせていただいてもいいでしょうか

私にとって出産するというのは、とても現実的なことでした。現実的、というのは言葉にしようがない現実そのもののような感触に触れた感じがした、という意味で現実的ということなのですが、そういった感覚的といか体験が、制作や表現のインスピレーションになったという感じですかね…。宗教的な法悦に、形を与えるために宗教美術が発展したように、赤ちゃんというカオスを理解するために、描くことが私にとって機能するんじゃないかと思って・・・今までは親が死ぬこととか、自分が死ぬことしかないから、軸が一本しかない状態なので、人間の生と死のサイクルとか、観念的に捉えてても、いまひとつピンとこなかったんです。でも、子供が生まれると否応なしに、置いて行かれる人のことを考えざるを得ないので、突然軸がもう一本足されて、奥行きが出てきたような感じです。手触り・・・奥行き・・・臨場感とも言い換えできるかもしれませんが・・・

– 人生というか死生観や家族や環境など影響がありますもんね。
そう意味では、今回の「GOLDEN MOUNTAIN」や世界観についても関係あるのかなと思うんですが、こういうものを設定した部分についても教えていただけますか

まず、個人的なレベルの話をすると、3年前に福井に移住したのですが、思った以上に気持ちに堪えたところがありました。それで、ずっと、札幌で食べたアジア料理の味を家で作ろうとして、しばらく料理ばかりしていたのです。移住と絡めて何か制作につなげたいと思って 「山が水を運ぶ/水が山を運ぶ」というようなイメージで、液体の飲料や調味料のパッケージに描かれた山の絵を少し意識的に見たり、集めたりしていました。その中にGOLDEN MOUNTAINというタイの調味料メーカーが出しているすごく濃いたまり醤油みたいな調味料があり、今回描いている「GOLDEN MOUNTAIN」はそのラベルに描かれている山がモデルです。

もうひとつ掛け合わせになっているイメージがあって、古代インドで世界の真ん中に須弥山という山があって、その周りを七重に金の山が囲んでいて、その外側に人間が住んでいる世界の構造が想定されていて、ヒンドゥー教や仏教の世界観の元になっているのですが、その世界にもイメージのソースがあります。須弥山は見えないけれど、それを囲んでいる金の山が見える浜辺が観光名所になっていて、今回、書いている絵はとある家族がその観光名所に家族旅行をしに来ているという設定で描いています。

– 観光名所ってきになりますね。

そんなに具体的な風景はないですが、看板の前で記念撮影していたり
浜辺に下りる道から海を見下ろしたり、ボートをお父さんが漕いでたりそんな感じです。

– 楽しみですね。

でも、結構また違うことやってるので、ちょっとドキドキしてます。さっき1000年生きる人の話を出しましたが、貧富の差によって 不死身になれる人とそうじゃない人が分かれてくるでしょうから、残念ながら、娘はともかく、私はおそらく不死身をのぞめるような富や倫理観を得ることは生前にかなわないと思いますが・・・須弥山の周りの金の山の近くまで、観光に行くというのは、今までの人間を超える技術ができたとしても、それにアクセスできる人間は限られていて、情報にアクセスすることはできていても手に届かないところもあるだろう、という、ちょっと皮肉っぽいというか、自虐っぽいニュアンスもあるんですけどね・・・

– 感覚としては、理想的な部分に関してはなかなか現実にならない(=手に届かない)けど、見たり理想を重ねる的な意味合いですかね。だから近くにきて夢を描くというか、家族で共有するみたいな感じというか

それもありますし、逆に、みんなで生きれないなら1000年生きても意味なくね?的な気分もあります。

– たしかにそうかもしれませんね

科学者や政治家であればどちらをよしとすべきか、決めなくてはいけないと思いますが、
私は美術作家なので、一番大事なところは宙ぶらりんにしておきたいのです。

– なるほど。でもそういう意味でも奥行きがでますよね。見た人に与える印象や想像にゆだねるというか。先ほどにもでた、調味料のGOLDEN MOUNTAINのように、モチーフに身近な素材という部分がありますが、こういった部分でのこだわりとかはありますか

ゆだねるというと柔らかいけれど、解釈は私も含めて、自分で決めるしかないことですから・・・と思いますね。身近な素材を語るには、誰にとって身近であるかを設定する必要があると思うのですが、私にとっての身近な人、というのは結構はっきりしていて、あらかじめ自給率の低い状況の中で生きている個人が設定されています。流通の中で生きている人のイメージです。たとえば、過去に使った気に入っているモチーフでいうと、アボカドなんて、私たちが小さい時は全然馴染みのない食材だったけど、今はスーパーに行ったら普通に売ってる。物流技術や気候条件の兼ね合いでちょうどこの2000年代前後の今、アボカドがメキシコなりから海を越えて日本にやってくるという動きがあって、それと日本人である私が今ここで遭遇していること(影もありますが)に惹かれています。
 
「布団山」というシリーズでは、大量生産されたり、色違いでバリエーションを作られているであろうファブリックの中に人が潜り込んでいる状態を山に見立てて、室内の 模様の組み合わせによって絵の中の人をえがこうとしています。襲の色目みたいなもので、割合日本人的な作品シリーズになると思っているのですが・・・

布団山

今回も、アボカドの作品と少し似ていて、日本人といっても、アジア料理が郷土の思い出の味だったりする、ちょっと純粋じゃない状況があって、日本人→アニメ、フジヤマ、ヘンタイみたいなところに回収されない私とは誰か、ということを描くモチーフとして、GOLDEN MOUNTAINがありますね。

 アボカド
– なるほど。そこでタイの調味料に出会っちゃった自分的な部分があるってことですね。

そうですね。赤い海とか。描いててエヴァンゲリオンのLCLの海を連想したりして、描いてる間、資料として参照したりはしましたが・・・

– なるほど。さまざまな文化が混ざってる中での森本さんという作家のリアリティがそこにはあるってかんじですね

そうですね、で、それはある程度他の人とも文脈として共有できるんじゃないか、という期待があります。

– さきほどのお子さんが生まれたことや、福井にすまれたことなどお話いただいてますが、ここ数年の生活環境の変化と制作環境の変化についてどうですか

私は大学を出た時点で、エリック・ホッファーやシモーヌ・ヴェイユ、宮沢賢治の影響を強く受けていて、日曜画家として最良の仕事をしようと思っていました。 なので、どこでもやっていけると思って、結婚と同時に福井県に移住しましたが、実際には、きつかったです。自分の名前で自分の世界を作ってきた女性にとってはある程度共有可能な感覚とは思いますが、戸籍上の名字が変わったのも少なからず自分の力を奪われたように感じたりはしました。日曜画家がどうとはいえ、日曜日だって毎日絵を描くよりご飯作って洗濯して掃除してる時間の方がずっと長い。結婚してから子どもが生まれることがわかるまでは、自分の制作を先に進めることができなかったです。でも、子どもが生まれることがわかってから「子どもができてから私の自由がなくなった」とは言えないなと思って、きちんと自分が何をしたくて、どういうやり方なら続けられるのかを主体的に考えて、できるやり方で作ることや発表することを続けていかないといけないと思いました。
 
今回展示する絵はそういう状況の中で、子どもが寝てから、その横で小さい机を置いて描いた絵で、大きな絵は描けず、小さなものですが、どのように続けるかという点では次が見えたように思います。

– そういう意味で、新たなきっかけの個展になるかんじですね。そこで、3年ぶりに札幌ということですが、札幌を選んだ理由だったり札幌の特徴的な部分をお聞かせください

そうですね。自分にとって10代から20代を過ごした街です。生まれたのはその隣の恵庭という街ですが、後天的な文化的なゆりかごは自分にとって札幌だったと思っています。今回は今まで見てくれてた人にも「これからも続けていけそうです」ということを伝えたかったというのが一つあり、もう一つは、自分より少し若い人が、観てくれたらいいなというのがあります。

– なるほど。色々な意味でとてもいい機会ですね。

そうですね。赤ちゃんを寒い中連れ回すのは、どうなの。というのはありますけど・・・

– では、今後の展望とか、ご活動に関しておしえてください

絵は描いていきたいと思いますが、この展示が終わったら、展示はあまり考えず、生活しながら制作することに集中したいです。あとは、アニメーションを作りたいと思っています。育児と並行して制作する上で、絵画のサイズや表面処理の上で制限があることを感じたこともありますが、夫が乗り気だったりして、周りを巻き込みながらできそうな気がします。学生時代に「卒業制作でアニメを作るから手伝ってくれ」と言われて、結局手伝ったアニメは完成せず、付き合い始めたのが今の夫なのですが、逆に手伝わせる格好になりそうです。三びきのくまという、童話の後日譚みたいな構想なのですが・・・。あとは、もう少し、環境的なことで、今住んでいる福井県の河和田という町に、有志の仲間と古い工場を改造して「PARK」という工作機械付きのコワーキングスペースを来春オープンする予定です。

– 最後に、この記事を読んでいただいている方へメッセージをおねがいします

興味を持っていただけたら、ぜひ展示も見てくださると嬉しいです。
天気が良くなりますように。

森本めぐみ展「百年の予定」
会場:TEMPORARY SPACE
北海道札幌市北区北16条西5丁目1-6
会期:2016年12月30日〜2017年1月3日
   11:00ー17:00 ※月曜(1月2日)休廊
TEL/FAX:011-737-5503
森本めぐみ
1987 年生まれ。北海道恵庭市出身。
2008年札幌市立高等専門学校工芸コース卒
2011年北海道教育大学岩見沢校教育学部芸術課程卒業。
2013年より福井県在住。
 
絵画を主な表現手法として、自身を取り巻く事象に没入し、独特な心象風景を描き出す。『くぼみ火山』(2011)と以降の制作では、4 万年前に大噴火で出生地に降り注ぎ、巨大なカルデラ湖を残して消えた火山のイメージを追いかけている。地理学的なスケールの時空は、その比喩としての布団や紙吹雪やアボカドといった身近なモチーフの反復により、個人の記憶や思考に滑り込み、新しい風景を構成する。主な展覧会に「とがったいわ」(個展、ギャラリー門馬、2013)「生息と制作:北海道に於けるアーティスト、表現・身体・生活から」(新宿眼科画廊、2013)、「触れる ‐ 空・地・指」(テンポラリースペース、2010)がある。