【INTERVIEW】重度のガンから復活を果たした札幌のベテランDJ。「やりたいことを見つけてるのかも、DJを通じて。」

北海道を代表するKuniyuki TakahashiOKIDJ NORI、若手ではQrionPARKGOLFといったミュージシャン・DJが日本のみならず世界にも名を広げ、J-POPシーンではサカナクションがアリーナを満杯にする程の動員で人気を集める。まるで雪がしんしんと降り積もるように重ねてきた北海道の地域的音楽性が、多くの人たちに受け入れられ始めている証拠だろう。ただそういったアーティストが飛び立つには、着実に根を張りフロアの地盤を固めるDJやミュージシャンがいることが不可欠であるのは、全く確かなことだ。
来年でDJ活動25周年を迎えるDJ Arimaは、昨年ガンに侵され、辛い抗がん剤治療を経て自身のパーティで奇跡の復活を遂げた。
今回は札幌のクラブシーンを支え続けているベテラン、DJ Arimaの活動歴からガンからの復活についてインタビューを行った。
 

そのときは遊ぶっていったらディスコしかなかったし、そういう文化だった。

ー始めにDJを始めたきっかけからDJ歴を教えてください。
10代の時にディスコに遊びに行っていきなり踊らせる側になりたいと思って、次の日に楽器屋に行ってました。けど間違ってDJミキサーじゃなくて卓のミキサーを買ってしまって。笑 ターンテーブル1台にベルトドライブのプレーヤー1台に、カセットテープをラインで入れたりして繋ぐ、というのやっていて、1年後にはベルトドライブのダイヤルピッチだけでミックスできるようになってました。笑 ハングリーでしたね。おたく4年、現場24年みたいな感じです。

 
ーその当時は周りにダンスミュージックを聴いている人はいましたか?
ディスコに行っている人やダンスミュージックを聴いている人はいたけど、機材も買ってDJをやっているのは自分だけでした。当時は自分のMIXテープを聴いて通学するっていうのがアガりで。笑 当時車が大好きで、自分のDJミックスを聴く為にというのもあって、高校3年生の4月に免許を取って5月に友達のお兄ちゃんから車を買ってしまいました。家では爆音で自分のDJミックスが聴けないので、自分の車で聴いてあがってましたね。借金もしたので学校とアルバイトとDJと、それだけのループ。

 
ーその時買った車は覚えてますか?
スープラの前のセリカダブルエックス。自分の車でDJミックステープを爆音で聴けるとか超アガりで。笑

 
ー当時の高校3年生だとかなりませてますね。
お金なかったからラーメン屋でバイトしてました。週6で6時から夜中の2時まで。

 
ーその時行っていたクラブは?
88年~90年にかかるぐらいに、MAHARAJA、CLUB D、今のリビエラのところだったKRETA64、第3グリーンビルの一番上にワンフロアでめちゃくちゃでかかったEXINGは、途中からマイケルジャクソンの東京ドーム公演で使ったスピーカーを導入したりして、今じゃ考えられない箱がたくさんありましたね。それに釈迦曼荼羅、テレサガリレオ、カルチェラタン。現場でDJをどうしてもやってみたくて友達のやっている小さいディスコでグラスを洗いながらDJのレコードを盗み見したりしてる間に声をかけてもらって、92年からF45の3~4階にMAHARAJAの系列店のPASHAに見習いで入店してから7年近くいました。そこで初めてDJだけでお金がもらえたのがPASHAでしたね。

 
ーそのときDJで働くっていうのはなかなかなかったですよね?
そのときは見習いで入らないと箱のDJになれなかったし、照明とかマイクもやりながら、ある程度期間を過ぎないとお金はもらえなかったですね。

 
ーPASHAから次はどこに移ったのでしょうか?
CLUB180。ノースウェーブ※の企画でやっていた180日間限定のクラブに途中から入って、終了後も同じ名前で引き継いで続いてました。そのときで28歳から3年ぐらいいて、1999年にフロールカフェができて、そこの活動がメインになりましたね。
※札幌のFM局

 
ーフロールカフェが所謂alifeの前身ですよね。
そう。フロールカフェが閉店するまでの7年間と、2004年にalifeがオープンして1年ぐらいは両方でDJをしていて、2006年12月31日閉店からはずっとalifeにいます。

 
ーフロールカフェはどこにあったんですか?
元々プレシャスホールのあった場所※1で、ジャスマックホテルの横のジャスマックビル五番館の1階でやっていました。フロールカフェはアフターっぽいクラブだったので、キングムー※2やHALL F45のクラブ帰りの人が集まってきて朝の6時~8時ぐらいがピークタイムでしたが、時には朝の10時ぐらいまで盛り上がっていましたね。
※1プレシャスホールはその後、隣のラッドブラザーズの下に移転。次いで資生館小学校の前に移転し、現在は元フィルモアノース、晋南貿易のB1~1階。
※2札幌クラブ史上最大級のキャパシティを誇ったクラブ

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ー僕も知らなかったクラブの名前がたくさん出てきてとても勉強になりました。
今のグローヴウィズアクアスタイルの下にあったCLUB180とか、キングムーですら意外に知らない人もいるんだよね。

 
ーキングムーは僕も一回だけ入ったことありますけど、一個下(27歳)の子は知らないって言ってましたね。
後に営業形態が変わるお店もありましたが、僕がプレイしていたPASHAやEXING、KRETA64、CLUB D、(etc)は”ディスコ”だけではなく、比較的大人も集まるように”ディスコ&クラブ”や”ディスコティーク”みたいな打ち出し方をしていました。今のプラスチックシアターのところがウォールっていうところは、ラリー・レバンも来たりしてアンダーグラウンドなクラブでした。その時はアンダーグラウンドがクラブっていう認識で、バブリーのお姉ちゃんはMAHARAJA行ったり、服飾関係の子とかはパルコの裏にあったパレードビルの地下2階のCLUB Dに行くとか、なんとなく分かれていました。

 
ーパルコの裏にクラブがあったんですね!
大きくなかったけど天井高くてすごいオシャレでしたよ。大通にクラブがあったんだよね。今だと服屋とかは札幌駅の方が盛り上がってるけど、当時はやっぱりあそこ一角が盛り上がってたから、シャワー通を降りていくとかめちゃくちゃオシャレだった。

 
ー絶対楽しかったでしょうね。
そのときは遊ぶっていったらディスコしかなかったし、そういう文化だった。19~20歳のときにやっと郊外にカラオケができた時代だったから。

 
ープレハブのカラオケですね笑
そうそう。それにカラオケにディスコがくっついたお店も何軒かありました。

 
ーめちゃくちゃカオスですね。音楽で遊ぶっていうのには楽しい時代でしたでしょうね。
ディスコのハシゴもあったり、高校生も遊びに来ていたディスコもあったり。ディスコ周辺に高校の先生いるんだから!笑 見つかって停学になった人もいたけど、みんな背伸びして行ってたんだよね。僕のお世話になっている社長や専務は年ごまかして高校生のころ釈迦曼荼羅でウエイターやってたし。笑 すすきのタウン情報で1年に1回ぐらい、各ディスコの黒服特集とかもあったりして、ディスコがもてはやされてた時代ですよね。

 
ーすごい時代ですね笑
それが終わってからディスコからクラブというネーミングに移っていったかな。

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ーその当時の音楽的な変遷は感じましたか?
そんなになかったかな。ハイエナジーからユーロビートになっていって、そこから複雑になってきてだんだん消えていくんだけど、パラパラの人たちはカラオケボックスに機材を入れてイベントやっていたみたいでした。
僕がプレイしていたのだとPASHAは95年ぐらいからアシッドジャズやハウスを中心に盛り上がっていましたし、後のHALL F45になってからはハウス、キングムーではオープン当時はハウス、終盤はトランスが盛り上がっていました、CLUB 180時代はヒップホップとかが盛り上がっていましたね。

 
ーArimaさんはずっとハウスがメインですか?
PASHAのときはallミックスだったけど、途中でお店の意向でハウスとアシッドハウスにR&Bを混ぜてかけていました。それからだんだんハウスになっていって、96年~04年まではずっとほぼハウスだったかな。そしてalifeがオープンしてからallミックスもプレイしながら、平行してハウスもプレイしています。

 
ーArimaさんのDJのテーマとして「LOVE」というのがありますけど、テーマとしてできたのはいつごろでしょうか?
alifeをオープンするときに誰かがプロフィールで作ってくれて、それからずっとテーマになっています。「Love」には音楽愛だったり、人と人との愛だったり、大きな括りの「LOVE」となっています。

 
今は良くも悪くも誰でもDJになれる時代だと思うのですが、時代が変わってきたのを感じることはありますか?
誰にでも表舞台に立てるチャンスはあると思いますが、集客できれば満足というパーティーというのでもいいけど、エンターテイメントとしてはもうちょっと狭き門でもいいのかな、と。センスが良くても集客ができないばっかりに辞めていく良いDJも少なくないと思うので、第一線に活躍する人材が出てくるのが難しいとかもしれません。

 
ー実際に現場にいて、若く無名でも良いDJだと思うことはありますか?
繋ぎとかはそんな上手いわけではないけど、こういう曲をこのタイミングで繋ぐんだとか、こんな曲知ってるんだとか、ハチャメチャなのもあれば、1曲ずつ聞けば良いのもあるし。考えている人もいれば適当な人もいるけど、人を呼べるDJが優先順位になってしまうと良いDJが埋もれちゃって、他の役割に当てると良いのかもしれないけど、発掘するのも大変だし。なかなか出会えないけど、なにかの縁で丁度いいタイミングで会う事が良いのかなと思います。

 
ーはやり現場に来て欲しいですよね。
やっぱり現場に足を運んで欲しいですね。より多くのDJプレイを聴いて、刺激にして欲しいです。

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DJ始める瞬間に、この感情は生きてないと思えない感情だなって思いました。

ーまずは復活おめでとうございます!
ありがとうございます。
 

ーでは始めに、ガンと分かったきっかけなどはありましたか?
まず直接つながるかわからないんだけど、去年の2月ぐらいからなんか体調が優れなくて、そうしたら次の月に耳が中耳炎を通り越して内耳炎になってしまって、治るまで2ヶ月以上かかり、その後ちゃんと治すためにalifeを2週間休みました。けどその間に熱はないけど扁桃腺が腫れてしまって、2ヶ月ちょっと様子見ていたらすごい大きくなっていったんだけど、それが結局扁桃腺の腫れじゃなくて腫瘍でした。

 
ー自覚症状とかはありませんでしたか?
痛くもないし熱もないんだよね。大きく口を開けて声を出したら腫瘍が前に出てくるぐらい大きくなってしまって、そのうち出血もしてしまって。入院する最後の1ヶ月がすごいスピードで大きくなっていって、呼吸ができなくなるかもしれないぐらいまで大きくなっていました。ただ腫瘍の根元がどこか分からないので、抗がん剤で小さくしてから切除しました。けどその間にリンパに転移してしまって、ビー玉ぐらいの大きさのが2個ぐらいありました。

 
ー年齢的にも進行が早いですよね。
抗がん剤は3種類使いましたが、まだ年齢的に若いということで初めに強い抗がん剤を2種類使いました。副作用がすごい辛かったですね。スーパー二日酔いの比にならないぐらいの気持ち悪さ。しかも副作用で吐き気としゃっくりが止まらなかった。止まらくて寝れなくて、それに吐き気は匂いに敏感で。投与してた5日間はベッドの上でのたうち回っていましたね。1週間物食べれなかったから痩せていくし。

 
ー副作用はやはり辛いんですね…
5日間投与して3週間様子見るっていうのが抗がん剤治療のワンクールだったんだけど、終わって血液検査したら栄養は足りてないからいい数値になるまで24時間点滴打って、もう薬漬けだよね。吐き気を止める薬も1日3回しか打てなかったし。もっと強い吐き気止めの点滴が後々使えるんだけど、抑えてもずっと常に胸がムカムカする感じ。

 
ーそれを数クール続けたんですか?
とりあえず強い抗がん剤だったので1~2週間で小さくなったので、ワンクールで手術できることになりましたが、逆に抗がん剤が強すぎて白血球が少なくなって肺炎にかかってしまって、手術が1週間延期になりました。それに喉のガンだと食道と胃に転移しやすいらしくて、その検査をしてから手術をしました。手術は喉に1時間、リンパに3時間ぐらいかかりました。取った腫瘍の端にガン細胞が付着していなかったので、再度抗がん剤治療をする必要はなくなりました。でもガンエネルギー自体は体に残っているかもしれない、とのことです。

 
ー手術の説明はどんな感じでしたか?
こういう手術をしますっていうのを患者の前でハッキリ説明するんだけど、首を開けてみて、味覚、唇の歪み、顔面の麻痺、もう一つ大事な神経に絡んでいたら、「切ります。」って。「味覚がなくなるかもしれません。」「唇が歪むかもしれません。」「顔面が麻痺するかもしれません。」「覚悟していてください。」ってハッキリと言われました。

 
ーそうなんですか…
それ本人に言うの?って思って。笑

 
ーどうやってガンと告知を受けましたか?
組織取って検査して、1週間後に来てくださいと言われて、昔のドラマじゃないけど「今日両親来てますか?」みたいな展開かなって思ってたら全然。「Arimaさん、ガンでした。今すぐ入院してください。明日でも入院できますか?」って。戸惑うどころから呆気に取られてしまって、そんなに簡単にガンって患者に言っちゃうんだって思いました。笑
それで「ハロウィンパーティに出てからじゃダメですか?」って聞いたらめちゃくちゃ怒られてさ。笑 「それって命より大事なイベントですか?」「あなた死にますよ」って久々に親でもない人に怒られて。笑 そこでそんな猶予ないんだなって思って、会社に説明したり準備したいから1日だけ下さいって言って2日後に入院しましたけど、いきなりCT取ったり検査と手術ばっかりで、ガンだと思える暇ないぐらい忙しかった。やっぱり受け止めるまで相当時間がかかりましたね。

 
ー手術は?
腫瘍が大きくなりすぎて窒息死する可能性があったので、呼吸を確保する為に気管切開の手術をしたのですが、それがとにかく痛い。局部麻酔だったからずっと起きていて。麻酔も途中で切れるし、気管に穴開けてるからめちゃめちゃ痛い。何回か手術台で暴れてたのを押さえつけられてたんだよね、2時間ぐらい。電気メスで焼けてる臭いもするし。

 
ー自分が焼けてる臭いですよね…
そう。暴れすぎてまっすぐ開かなかったんだよね。とにかく痛い痛い痛いっていう。。もう2度と嫌だね。

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ーファンや皆さんにどうお伝えしましたか?
初めはこういうことって世の中の人たちに言っていいか分からなくて、けど社長が「Arimaの立場的には言う義務はあるんじゃないの?応援いてくれるみんなで治してった方がいいから。」と言われて、Facebookでお知らせしました。先生から抗がん剤投与する前に親も呼ばれて「Arimaさんは調べた結果、生存率が40~50%に落ちるステージ4で、リンパにも転移していますが、若いので強い抗がん剤を使うので大丈夫です。一緒に頑張りましょう」と言われました。けど絶対大丈夫とは言われなかった。それもあって、みんなに助けてもらおうって思って。

 
ー病室にCDJがある写真がとても印象に残っています。
まあ気を紛らわす為にね。個室だったからできたんですが、抗がん剤が効いてくるとそれどころじゃなくなってきて。けど看護婦さんが許してくれたんだよね!許してくれるんだって思った。笑。仕事を理解してくれてたのもあって、薬の飲む時間だったり、夜寝れますか?って聞いてくれたり、入院生活はしやすかったです。

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ー死を感じた瞬間はありましたか?
先生に言われた時かな。「ありまさん死にますよ、ほっといたら」って言われた時にハッとしたかな。けど実感がないんだよね、痛みもないし。死ぬっていう実感がなくて、最初の1ヶ月はただ”苦しい”しかなかった。

 
ー自身のイベント“有間記念”への出演も危ぶまれてましたが、実際に出演できたときの心境を教えてください。
やっぱりこの為に頑張ってきたんだなって思いました。でもガンが残ってたら抗がん剤治療で1ヶ月延びてたかもしれないし、それでも出れたかもしれないけど、リハビリして感覚戻してから出たかったんだよね。ただやるってだけだとなんか惨めだなって思ったから。神経もいじってるから今も腕はあんまり上がらないけど、退院して2週間ちょっとあったから、リハビリできたのは良かった。

 
ー実際にブースに立った時は、どのような感情がありましたか?
やるときまではボヤけてたんだけど、みんなもサポートしてくれたし、DJ始める瞬間に、この感情は生きてないと思えない感情だなって思いました。言葉では表すのは難しいけど、生きてて良かったなって思った。生きてるからこういう感情を感じれるんだなって。おめでとうとか、いろんなこと言ってくれて、これって今まで感じた事ない感情だなって。嬉しいともまた違う。

 
ーガンになる前となった後でDJで変わったことはありますか?
ないかな。逆に今まで通り変わらずしたい。だってalifeに遊びにきている自分を知らないお客さんには関係ないし、今まで通りにいるのが一番スマートなんだろうなって、その方が自分らしいし。

 
ーこれからDJ以外で挑戦したいことなどはありますか?
DJ以外っていうのはないかな。笑 28年間唯一飽きてないもの。生涯DJでいたいかな。

 
ー生粋のDJですね。
それ以外は飽きたもんね。逆に他になんかやってきたかな?
逆にやりたいことを見つけてるのかも。DJを通じて、やりたいことに出会うかもしれない。し、見つからないかもしれない。

 
ーなるほど。では最後に今年の抱負を教えてください。
健康でいる。健康でいなければDJもできないしね。それだとただの闘病日記になっちゃうから。笑

 
ーそうですね。今年は健康でお願いします。笑

 
ありがとうございました!
 

 

DJとお客の関係はよく”対話”として捉えられるが、来年でDJ歴25周年を迎えるベテランDJでありながらも良い意味で肩肘張らなく対話できる存在感が、DJ Arimaが多くの人を魅了する理由なのかもしれない。等身大で周りと歩調を合わせるような雰囲気は、DJのテーマでもあるLOVE=人間愛に通じるものがあるだろう。
これからも札幌のクラブシーンを支え続け、トップでなお「自分らしく、いつも通り」走り続けるDJであってほしい。

 
VORDERMAGAZINE最初のエクスクルーシブMIXであり、DJ Arimaの”いまだにDJでかける曲”を含めた全13曲のDJ MIXをVORDERMAGAZINEオフィシャルSoundCloudにて公開。
ぜひこちらも聴いていただきたい。

VORDERMAGAZINE MIX
DJ Arima
 
01. Caje (The Cube Guys Bootleg) / Nicone & Sascha Braemer Ft. Narra
02. Paradise (Original Mix) / Jay Vegas
03. Big Fun (Zoo Brazil Remix) / Inner City, Kevin Saunderson
04. Good Life (Matt Smallwood Remix) / Inner City, Kevin Saunderson
05. I Feel Love (Dj Meme Remix) / Donna Summer
06. Strings Of LIfe (Original Mix) / Carl Hanaghan
07. That Feeling (De Poniente Mix) / DJ Chus, The Groove Foundation
08. Beautiful Sunrise (Sunshine Soul Mix) / Studio Apartment
09. Everything (Kaskades Big Room Remix) / Kaskade
10. Free (MoodⅡSwing Extended Vocal Mix) / Ultra Nate
11. Do Better (Reel People Vocal Mix) / The Layabouts, Portia Monique
12. The Boss (Masters At Work 12″ House Mix) / The Braxtons
13. Fade Featuring Stella / A Hundred Birds